堺なんや衆

御香処 株式会社・薫主堂

焚香要旨
創業130年、手づくりに拘り、天然原料素材の生命を活かす傳家の秘法を基礎とし、能く邪掃ひ、欝を散し、心神を清浄ならしむる薫物を世に問う御香処“薫主堂”

お勧め品:花時代:1,500円、極品時代香:1,200円、瑞芳香:1,700円、薫主:3,000円
〒590-0921堺市北半町西2―1 電話:072-232-2549 駐車場:2台分あり
営業時間:8時~19時 年中無休(年始のみ休日)
交通:南海本戦七道駅、または、阪堺線高須神社駅徒歩4~5分

お香の始まりは、紀元前エジプトで宗教上の儀礼のために、香料を焚いた事によるといわれ、乳香(にゅうこう)は“神”、没薬(もつやく)は“神の子”を代表するとされた。
日本への伝来は、日本書紀によれば、推古天皇3年(595年)の淡路島に大きな香木が漂着し、焚き木の最中に素晴らしい香りがしたので、天皇に献上され、法隆寺に納められたと記されている。
754年、唐から鑑真和上が来日し、薫物の作り方を伝授したことから、玩香(お香を嗅ぐ)、移香(衣服に着ける)、空薫(部屋の中で香を焚く)、掛香(部屋に香を掛ける)、匂い袋などが定着した。
線香が日本に伝わった言われには諸説あり、定かでは無いが、天正年間(1573~1591年)に、堺の小西弥十郎が韓国に渡り製法を習得して、国内生産をはじめたとも言われ、江戸時代の初期(1668年)に中国からの帰化人が淡路島で作り始めたと言う説もある。
線香の原料である香木は、いずれも、熱帯、亜熱帯原産品であることから、対明、南蛮貿易特産品として輸入に頼っており、堺商人の扱い商品となっていたと言われている。
線香は、抹香よりも取扱が簡単で、長時間、均一に香りを漂わせる香として受け入れら、多くの階層の人々の間に普及し、現在では、癒しブームの中、アロマテラピーなど和の香りとしても注目されている。
戦前、堺には約80社(全国シェアー60%)の線香メーカーがあったが、旧市内が戦災などで焼失したこともあって、現在では17社にまで激減し、主生産地を淡路島に譲ってはいるが、高級品としての評価が高く、品質で伝統の堺の線香の位置付けを守っている。

 

http://www.harima.co.jp/naval/trip/s5/15.html

http://www.osbic.or.jp/Dento/13_f.html   

http://www.wantashi.com/aroma/japan/page1.html