「さぃかい・ウォーク」堺の“まち”文化の公開実地見聞

「堺県」横断ウォーク・ラリー

― 「春日大社」から「堺大魚夜市」へ ―

「堺県」と「堺大魚夜市」の由来


「堺 県」
 1871年714日(太陽暦:1871829日)の廃藩置県によってすべての藩が廃止11月(旧暦)の第1次府県統合によって国郡を単位とした3府72県に統合されました。それに先立ち1868622日、明治政府の直轄地であった現在の堺市に堺県(県庁所在地は大鳥郡堺)が設置され、1869年には河内県(八尾市)、狭山藩(狭山市)が編入されました。第一次府県統合では和泉国と河内国が堺県となりました。

 現:堺市・八尾市・松原市・狭山市・岸和田市・和泉市・田尻町

1876418日に第二次府県統合では現在の奈良県の大部分も統合され広大な面積を持つようになります

しかし、188127大阪府に編入され14年の県政の幕を閉じることになりましたが、堺と奈良とは古くから関係の深い土地柄であったようです。

「堺大魚夜市と春日大社」

建武何年、堺の魚商人が大和地方に魚を売り込みに行くのを足利幕府が禁止したという記録もありますが、春日大社には以下のような文章が残されています。

 「堺の魚類が来ぬ様になると、神前に供える鮮魚に事欠く。」とされています。

堺と春日大社の関係は古く、燈篭にも堺の商人(堺魚屋方尓次郎)の名前が記されています。

 また、堺大魚夜市の夜には飛脚を使い、春日大社に奉納に行ったとも住吉神社縁起に記載されています。

以上