大仙公園から履中天皇陵

小西行長公ゆかりの松
堺の薬種商の家に生まれた小西行長は、豊臣秀吉に仕えてとりたてられ、ついに肥後半国二十四万石の大名となりました。熱心なキリスト教徒でしたが、関が原の戦いでは、石田三成とともに戦って敗れ、刑死しました。
この松の木は、行長の居城のあった熊本県宇土市から、1980(昭和55)年、堺市制90周年に際して贈られたものです。
平和の塔
あの白い塔は、堺市平和塔です。太平洋戦で亡くなった市民(戦没者)を悼み、二度と戦争は繰り返さないとの決意を込め、平和のシンボルとして、1971(昭和46)年に、1億円の工費で建てられたものです。塔の下には亡くなった大勢の方々の御霊が祀られています。
塔の高さは60.5mあります。堺市の市章は、摂・河・泉の国の境に発達した町ということで、「市」の字を三つ組み合わせた形になっていますが、この塔も上から見ると、市章をかたどった、一辺約12mの三角形に造られているのです。
堺市は、1984(昭和59)年3月29日、世界不戦への平和都市宣言に関する決議を採択し、戦争のない世界平和を誓っています。私達は、戦争のあの悲惨さと、戦争のない平和の尊さを、戦争を知らない次の世代に、語り継いでいかなければならないと考えています。
日本庭園
堺市は、1989(平成元)年に、市制100周年を迎えました。これを記念して造られたのが、この日本庭園です。日本の庭園技術は、中国から伝わってきたといわれています。そうした大陸文化に基づく建築物や、泉、築山、水の流れなどが、26,000u の広さの中に表現されているのです。これを「築山(つきやま)林泉(りんせん)回遊式(かいゆうしき)庭園(ていえん)」とよんでいます。春は花、夏は森のクリーンな涼しさ、秋は紅葉、冬は雪景色と、四季それぞれの顔をもつ庭園です。
こちらの建物は、中世の会合衆(豪商)たちの集会所を模して造られている総桧造りの休憩所です。お茶の会はもちろん、お琴の会、詩吟の会などにも使われ、多くの市民の皆さんに親しまれています。
七観音山古墳 
履中陵の培冢で、円墳ですが、保存のため盛り土が施されています。
H8年度調査跡
発掘調査の結果浅い溝があったとされています。外堀にしては浅すぎます。
履中陵古墳
全国でも3番目に大きい前方後円墳。履中天皇陵とされている。南向き、石津丘字ミサンザイにあることから、石津丘古墳・ミサンザイ古墳・百舌鳥陵(もずみささぎ)山古墳ともよばれています。 全国でも3番目に大きい古墳です。モズ三陵のうち、南陵(みなみみささぎ)として宮内庁の管理になっています。 仁徳陵より以前に築造されたものらしいです。 モズ三陵とは、履中・仁徳・反正をさします。
【全長360m・後円部205m・高さ18.6m・前方部幅236m、培冢(塚)11現存2基】