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茶室(伸庵)
伸庵は、数奇屋普請の名匠、仰木魯堂(おおぎろどう)が、粋をこらして建てたもので、1980(昭和55)年、市制90周年を記念して、福助株式会社から寄贈され、東京の芝公園から移されました。茶室をはじめ、十室の和室や中庭をもつ風雅な二階建の建物で、一階には、移築の際に設けられた「立礼席」があり、抹茶を楽しむことができます。一服300円でした。干菓子は山之口商店街の丸一菓子輔。 |
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茶室(黄梅庵) 奈良県の今井町にあった今井宗久ゆかりの茶室を、明治・大正・昭和の三代にわたって、「茶道の四天王」とも、「日本の電力王」ともいわれた松永安左衛門(耳庵(じあん))翁が、1948(昭和23)年、小田原の邸に再興し、梅の実が黄熟する頃に完成したことから、「黄梅庵」と名づけて愛用していました。茶室に広間などが続く、約80uの広さの建物です。
伸庵と同様に市制90周年の記念事業の一つとして、松永安太郎氏から寄贈を受け、1980(昭和55)年10月、ここに移築されたものです。 |
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千利休と武野紹?の座像 こちらは、堺の生んだ茶道の大成者として知られる、千利休の座像です。
利休は、1522年、堺の「魚屋(ととや)」という商人の長男として生まれました。十代の頃から茶の湯をたしなみ、はじめ北向道陳に師事しました。、後に武野紹?の弟子となり、剃髪して宗易を名乗るようになりました。1585年、宮中茶会に出席するとき、正親町(おおぎまち)天皇から「利休」の名を授かりました。武将でもないのに秀吉に重用され、秀吉の作戦参謀のような働きもしており、筆頭奉行であった石田三成でさえも、利休には一目置いていたようです。織田信長、豊臣秀吉の茶頭を勤めたのですが、晩年は秀吉の怒りに触れ、切腹を命じられたのです。1591年2月28日、京都葭屋(よしや)町の屋敷で、腹を掻っ切り、70歳の生涯を終えました。
堺の「千利休屋敷跡」は、宿院の近くに、椿井戸とともにひっそりと佇んでいます。
この利休の像は、与謝野晶子の歌碑もたくさん制作されている彫刻家、白石正義氏の作品です。
あちらは、利休の師匠、武野紹?の座像です。紹?は、茶の湯についての利休の師匠ではありますが、ネームバリューは、利休の方がはるかに上回っています。でも、師匠であったということで敬意を表したのでしょうか、ちょっと上座に座っておられるような気がします。 |
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堺市博物館 堺市博物館は、1980(昭和55)年、市制90周年の記念事業の一つとして、大仙公園の中に建設されたものです。
中庭を巡る馬蹄形の展示室は、「堺―仁徳陵と自由都市」というテーマで、堺の歴史と文化が一目でわかるよう工夫されています。原始社会から弥生の文化を築き、さらに古墳の文化を経て、中世の「黄金の日々」から現代の中核市に至るまでの堺のあゆみが、時代順に、収蔵品や模型、パネルなどで再現され、わかりやすく解説されています。また、年に数回の特別陳列のほか、大規模な特別展も行われます。
大仙公園内にあり、園内には茶室・日本庭園・堺中央図書館・平和塔・武野紹鴎や千利休の銅像などもあります。 |
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