| 「CHAの心」の実践として“堺なんや衆”が目指すこと | |||||||||||
| かつての16世紀の堺において、納屋(なや)衆と呼ばれるひとたちが、自治都市、文化都市の牽引役として活躍した時代がありました。400年あまりを経て現在、堺を愛してやまないひとたちが集まって、この歴史深い堺のまちをもう一度見直し、勉強して、文化的なまちづくりの提言をしていこうと、私たち堺なんや衆は活動しています。「なんや」とは、対象に向かって好奇心旺盛に「なんやなんや(What)?」と探求していき、そして「そうか、つまりはこうなんや(That is,(I think)〜)」と自ら答えをひき出し納得して、そして自身のことばで周りに伝える、そういった物事に対する積極的、自主的な姿勢の意味合いを持っています。また先の納屋衆に通じる気概をも感じ取りたいと名づけられました。 「堺といえばお茶だ。」とよく言われます。お茶の文化、茶の湯文化が生まれ、その大成者である千利休さんも堺出身だ、というような表現もよく耳にします。でも現代の私たち堺の人間にどれだけ息づいているでしょうか。茶の湯文化というのは、元来中国から伝わった、お茶という飲み物を通して、人と人との和を大切にしていこう、という日本的な思想面と、これもまた非常に日本的な美意識でもって形成されたかたちを持つ、まさに文化でした。これが利休さん、そして武野紹鴎さんたちのいた16世紀の堺のまちで生まれたわけです。非常に創造性に富み、柔軟性があり、先見性があり、かつ現実的な面も併せ持っていた、その時代の堺の文化を生み出した土壌をも併せて、今日私たちは誇りにすべきことだと思います。この、茶の湯文化というと、江戸時代後世に確立成熟していった全般を指すようにも思われます。堺で生まれたころの文化の精神は、思想的にも確立されていない分、流動的でありながら、シンプル故に明快ともいえ、非常に普遍的なものであったといえます。その精神ともいうべきものを、もっと幅広く、分かり易く呼んでもいいのではないかとも思うわけです。 |
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